赤木志郎容疑者が死去!死因は病気?
赤木志郎容疑者は、2026年9月12日に北朝鮮・平壌で死亡したと報じられました。
78歳でした。
気になるのは死因ですが、毎日新聞は「心不全」、日テレNEWS NNNは「心筋梗塞」と報じており、情報に若干の違いがあります。
そのため、「以前から重い病気を患っていた」と断定できる状況ではありません。
1970年のよど号ハイジャック事件から56年以上が経過しており、赤木志郎容疑者は人生の大半を北朝鮮で過ごしました。
事件をリアルタイムで知らない世代からすると、名前だけでは「誰だっけ?」となるかもしれません。
実際、ニュースを見て最初に気になったのも、死因以上に「赤木志郎容疑者は何をした人物だったのか」という部分でした。
まずは、報道内容に違いがある死因から詳しく見ていきます。
赤木志郎容疑者の死因は心不全?心筋梗塞?
赤木志郎容疑者の死因については、心不全または心筋梗塞と報じられています。
毎日新聞では、9月12日に平壌の病院で「心不全」のため死亡したとされています。
一方、日テレNEWS NNNでは「心筋梗塞」のため平壌で死去したと報じられました。
心筋梗塞と心不全はまったく同じ意味ではないため、現時点ではどちらか一方に決めつけないほうがよさそうです。
また、長期間闘病していたなどの詳しい病歴については、今回確認した報道では明らかになっていません。
78歳という年齢を考えると健康状態も気になりますが、「以前から病気だったはず」と推測で話を広げるのは避けたいところですね。
続いて、死亡情報がどのように日本へ伝わったのか確認してみましょう。
赤木志郎容疑者の死亡は日本の親族にも連絡
赤木志郎容疑者の死亡については、日本にいる親族にも連絡があったと報じられています。
日テレNEWS NNNによると、9月14日に日本にいる親族へ連絡があったということです。
また、毎日新聞では、よど号グループを支援する「『かりの会』帰国支援センター」にも、北朝鮮で死亡したとの情報が寄せられたとされています。
警察当局も情報を把握し、確認を進めると報じられました。
1970年から半世紀以上も国際手配が続いていたと考えると、とてつもなく長い時間です。
会社員生活なら定年まで働いてもまだ余るほどの年月なので、56年という数字を見ると事件の古さと長さを改めて実感します。
では、赤木志郎容疑者は亡くなった時点で何歳で、どのようなプロフィールの人物だったのでしょうか。
赤木志郎容疑者の経歴・学歴や年齢は?
赤木志郎容疑者は1947年生まれとされ、死亡時の年齢は78歳でした。
学歴については大阪市立大学に入学したとの情報がある一方、出身高校や学部など確認できていない部分もあります。
その後は赤軍派に加わり、1970年のよど号ハイジャック事件に参加したとされています。
そして事件後に北朝鮮へ渡り、そのまま亡命生活を続けました。
現在の感覚だと、大学生から国際手配、そして北朝鮮で50年以上生活するという経歴は、映画の設定でも「なかなか濃いな」と感じるほどです。
ただし実際には一般の乗客や乗員を巻き込んだ重大事件であり、そこは軽く扱えません。
ここからプロフィールと経歴を時系列で整理します。
赤木志郎容疑者の年齢やプロフィール
赤木志郎容疑者の基本プロフィールを整理すると、次のようになります。
| 項目 | 情報 |
|---|---|
| 名前 | 赤木志郎容疑者 |
| 生年 | 1947年 |
| 死亡時の年齢 | 78歳 |
| 大学 | 大阪市立大学に入学したとの情報 |
| 所属 | 赤軍派 |
| 関与した事件 | よど号ハイジャック事件 |
| 事件発生 | 1970年3月31日 |
| 事件後 | 北朝鮮へ渡る |
| 居住地 | 北朝鮮・平壌 |
| 死亡日 | 2026年9月12日と報道 |
| 死因 | 心不全または心筋梗塞と報道 |
赤木志郎容疑者は20代前半だった1970年によど号事件に関与し、その後78歳まで北朝鮮で暮らしたとされています。
つまり、人生の約3分の2を北朝鮮で過ごした計算になります。
数字にすると、その長さがより分かりやすいですね。
では、赤木志郎容疑者はどこの学校に通っていたのでしょうか。
赤木志郎容疑者の学歴は?大学は大阪市立大学
赤木志郎容疑者は大阪市立大学に入学したとされています。
一方、出身小学校や中学校、高校、大学の学部など、詳しい学歴については今回確認した主要報道では分かりませんでした。
ネットでは空白になっている経歴ほどいろいろな情報が出てきますが、学校名は本人以外の卒業生にも関係する情報です。
確認できないものまでパズル感覚で埋めるより、「現時点では不明」としたほうがスッキリします。
そして大学時代以降、赤木志郎容疑者は赤軍派へ加わり、よど号事件へとつながっていきます。
次は、事件前後を含めた経歴を時系列で見てみましょう。
赤木志郎容疑者の経歴を時系列で紹介
赤木志郎容疑者の経歴で確認できる大きな出来事は、次の通りです。
・1947年:誕生
・大阪市立大学に入学したとされる
・赤軍派に参加
・1970年3月31日:よど号ハイジャック事件に関与
・1970年4月3日:北朝鮮へ入る
・事件後:北朝鮮で亡命生活
・2002年:毎日新聞の国際電話取材に応じる
・2017年:公開されたインタビューで過去について発言
・2026年9月12日:平壌で78歳で死亡したと報道
こうして並べると、1970年以降のほぼすべてが北朝鮮での生活だったことが分かります。
20代前半で日本を離れ、70代後半まで戻らなかったというのは、かなり特殊な人生です。
そして、その原因となったのが「よど号事件」でした。
赤木志郎容疑者が関与したよど号事件の情報は?
よど号事件とは、1970年3月31日、赤軍派メンバー9人が日本航空の旅客機「よど号」を乗っ取った事件です。
赤木志郎容疑者は、その実行メンバーの1人として国際手配されていました。
乗っ取られたのは羽田発福岡行きの便で、乗員・乗客は計129人でした。
最終的に乗客らは解放されましたが、日本で初めて発生したハイジャック事件として大きな社会問題となりました。
赤木志郎容疑者の名前だけ検索すると経歴が先に出てくることもありますが、人物を知るうえで、この事件を抜きには語れません。
ここでは「何をしたのか」が分かるように、事件の流れをシンプルに整理します。
よど号事件で赤木志郎容疑者は何した?
赤木志郎容疑者は、よど号を乗っ取った赤軍派メンバー9人のうちの1人とされています。
事件が発生したのは1970年3月31日です。
羽田から福岡へ向かっていた日本航空機「よど号」が乗っ取られ、乗員・乗客129人が巻き込まれました。
乗客らは福岡空港と韓国・金浦空港で解放されています。
その後、当時の運輸政務次官を代わりに乗せ、4月3日に北朝鮮へ入り、実行メンバーは投降しました。
「よど号事件って聞いたことはあるけど、具体的に何だった?」という人も多いと思います。
一言で整理すれば、日本の旅客機を赤軍派メンバーが乗っ取り、最終的に北朝鮮へ渡った事件です。
では、赤木志郎容疑者は事件後、なぜ日本へ戻らなかったのでしょうか。
赤木志郎容疑者は事件後に北朝鮮へ亡命
赤木志郎容疑者は、よど号事件後に北朝鮮へ渡り、そのまま亡命生活を続けました。
北朝鮮では、よど号グループが暮らす通称「日本人村」で生活していたとされています。
一時期は妻や子供などの家族を含め、30人以上が生活していたと報じられています。
ただ、年月とともにメンバーが死亡したり、妻や子供が日本へ帰国したりして状況は変化しました。
赤木志郎容疑者自身も長年日本への帰国を希望していましたが、実現しませんでした。
海外生活が数年でも「やっぱり日本のコンビニって便利だな」と感じそうですが、赤木志郎容疑者の場合は50年以上です。
しかも国際手配中だったため、当然ながら一般的な海外移住とは事情がまったく違います。
その国際手配は、死亡が報じられる2026年まで続いていました。
赤木志郎容疑者はなぜ国際手配されていた?
赤木志郎容疑者は、よど号事件に関与したとして、国外移送目的略取・同移送や強盗傷害などの容疑で国際手配されていました。
国外逃亡によって公訴時効の進行も停止していたとされています。
よど号事件が起きた当時、日本には航空機の強奪そのものを現在のように処罰する法律が整備されていませんでした。
そこで事件後、いわゆる「ハイジャック防止法」が制定されることになります。
もちろん、後から作られた法律を過去の事件へさかのぼって適用することはできません。
ニュースを追うだけだと「昔の事件」で終わってしまいますが、日本の法整備にまで影響した事件だったわけですね。
最後に、赤木志郎容疑者が後年、事件当時について何を語っていたのか見ていきます。
赤木志郎容疑者はよど号事件をどう振り返っていた?
赤木志郎容疑者は後年、事件当時の自身の考えについてインタビューで語っています。
2017年にYouTubeへ投稿されたインタビューでは、「過去を振り返れば、日本のために何かやろうとした。だめだったけどね」と話していました。
また、北朝鮮へ向かったことについて、日本による朝鮮半島の植民地支配の歴史に触れたうえで、当時は「ただ格好良いという価値観」があった趣旨の発言もしています。
50年近く経過してから出た「だめだったけどね」という言葉は、かなり印象に残ります。
ただ、後年の本人の振り返りと、事件によって乗員・乗客を巻き込んだ事実は別々に考える必要があります。
当時の思想や時代背景を知れば「なぜそんな行動に向かったのか」を理解する材料にはなりますが、それによってハイジャックという行為自体が正当化されるわけではありません。
赤木志郎容疑者の死亡報道をきっかけに改めてよど号事件を振り返ると、1970年の出来事が2026年まで続いていたことに驚かされます。
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