2026年9月13日に投開票された沖縄県知事選挙で、古謝玄太(こじゃ・げんた)さんの初当選が確実となりました。
前那覇市副市長で42歳の古謝げんたさんが、3選を目指した現職の玉城デニーさんを破る形となり、一気に全国から注目される存在になっています。
沖縄県知事選挙といえば、基地問題や安全保障をめぐって国政との関係まで注目される選挙です。
そんな重要な選挙で新しい県政を担うことになった古謝げんたさんについて、「そもそも何者なの?」と気になった人も多いのではないでしょうか。
古謝げんたさんの経歴を調べてみると、東京大学、総務省、長崎県、民間企業、参議院選挙、那覇市副市長と、履歴書の職歴欄がかなり強めです。
会社員として一度でも転職を経験すると、新しい職場で仕事を覚えるだけでも結構なエネルギーを使います。
それを考えると、国・地方自治体・民間という違う環境を経験している古謝げんたさんは、かなり行動力のあるタイプに見えます。
さらに仕事だけでなく、妻と5人の子供を持つ父親でもあります。
この記事では、古謝げんたさんは何者なのか、新沖縄県知事の年齢や学歴、これまでの経歴、妻や子供を含めた家族構成まで詳しく紹介します。
古謝げんたは何者!
古謝げんたさんは、元総務省官僚で前那覇市副市長を務めた政治家です。
2026年9月13日の沖縄県知事選挙で初当選が確実となり、新しい沖縄県政を担うことになりました。
1983年10月23日に沖縄県那覇市首里石嶺町で生まれ、現在の年齢は42歳です。
東京大学で薬学を学んだ後に総務省へ入り、長崎県や復興庁でも勤務しました。
その後は民間企業へ転職し、2022年には参議院選挙へ出馬しています。
参院選では惜しくも落選しましたが、同年12月に那覇市副市長へ就任しました。
そこから2026年の沖縄県知事選挙で初当選確実ですから、かなり濃い4年間ですよね。
順風満帆というより、選挙での敗北も経験しながら次のポジションへ進んできたところに、古謝げんたさんの粘り強さが見える気がします。
では、新沖縄県知事となる古謝げんたさんは具体的にどんな人物なのでしょうか。
まずは年齢や出身地など、基本プロフィールからチェックしていきます。
古謝げんたのプロフィール!年齢は42歳
古謝げんたさんは1983年10月23日生まれで、2026年9月現在の年齢は42歳です。
出身は沖縄県那覇市首里石嶺町で、生まれ育った沖縄で県知事を務めることになります。
プロフィールをまとめると以下の通りです。
・名前:古謝玄太(こじゃ・げんた)
・生年月日:1983年10月23日
・年齢:42歳
・出身地:沖縄県那覇市首里石嶺町
・血液型:O型
・星座:てんびん座
・MBTI:ENTJ(指揮官)
・趣味:ウォーキング、ジョギング
・好きな食べ物:沖縄そば、オムライス、ポークたまご、甘いもの
・好きな場所:路地裏、ビーチ
・好きなアーティスト:HY、BEGIN、安室奈美恵さん
・主な経歴:総務省、長崎県、復興庁、NTTデータ経営研究所、那覇市副市長
・家族構成:妻、四女一男の子供5人
元官僚で新沖縄県知事と聞くと、かなり堅い人物を想像してしまいます。
ところが、好きな食べ物は沖縄そばやオムライスで、甘いものも好きという親しみやすいプロフィールです。
趣味のジョギングについてはNAHAマラソンを完走するほどなので、「たまに走ります」というレベルではなさそうです。
42歳という年齢も政治家としては比較的若く、これからどんな県政運営をするのか気になるところですね。
では、古謝げんたさんは新沖縄県知事になるまで、どんな仕事を経験してきたのでしょうか。
古謝げんたは元総務省官僚で前那覇市副市長
古謝げんたさんは、総務省官僚としてキャリアをスタートし、地方自治体や民間企業を経て那覇市副市長を務めました。
国・地方・民間という3つの立場を経験していることが、古謝げんたさんの経歴における大きな特徴です。
2008年に総務省へ入省し、情報流通振興課や調整課などで勤務しました。
2013年には内閣官房副長官補付、2014年以降は長崎県で観光、国際、文化、財政といった分野を担当しています。
2019年には復興庁参事官補佐を務め、2020年にはNTTデータ経営研究所へ転職しました。
2022年の参議院選挙に挑戦した後、同年12月から2026年2月まで那覇市副市長を務めています。
会社員目線で見ると、国の役所から県庁、民間企業、市役所と職場環境が大きく変わっている点が面白いところです。
部署異動だけでも新しい仕事を覚えるのに一苦労なのに、組織そのものが変わる経験を重ねています。
行政だけを知っている政治家ではなく、民間企業でも働いた経験がある点は、古謝げんたさんを見るうえで一つの特徴になりそうです。
そして、そんな古謝げんたさんの経歴に新たに加わるのが「沖縄県知事」です。
次は、2026年沖縄県知事選挙について見ていきます。
古謝げんたが沖縄県知事選挙で初当選確実に
古謝げんたさんは、2026年9月13日に投開票された沖縄県知事選挙で初当選を確実にしました。
現職として3選を目指した玉城デニーさんを破る形となり、沖縄県政は大きな転換点を迎えることになります。
古謝げんたさんは選挙戦で、「分断を乗り越え、右でも左でもなく沖縄を前に進める」と訴えていました。
県民所得の倍増など経済振興を前面に出したほか、子育て支援や観光振興なども主要政策として掲げています。
一方、基地問題では辺野古移設を容認する立場で、玉城デニーさんとは大きな違いがありました。
沖縄県知事選挙は県内の暮らしに直結するだけでなく、米軍基地や安全保障をめぐる政府との関係にも影響します。
選挙に勝つことと、実際に政策を実現することは別の難しさがあります。
会社でも新しい責任者が「改革します」と宣言した翌日から全部うまくいくわけではありません。
古謝げんたさんが国や地方自治体で築いてきた経験や人脈を、これからどのように県政へ生かすのかが注目されそうです。
そして古謝げんたさんについて、経歴と並んで気になるのが学歴です。
次は東京大学へ進学するまでの学生時代から詳しく見ていきます。
新沖縄県知事の学歴や年齢など!
古謝げんたさんは42歳で、那覇市内の小中学校から昭和薬科大学附属高校へ進み、2002年に東京大学理科2類へ入学しています。
その後は薬学部へ進み、大学院薬学系研究科を経て2008年に総務省へ入省しました。
学歴だけを見ると「東大に進んだ優秀な学生」という印象ですが、古謝げんたさんの場合は大学時代から沖縄との関わりを強く意識していた点が特徴的です。
東京大学では沖縄県人会を立ち上げ、初代会長を務めています。
さらに中学・高校では野球部に所属しており、現在はNAHAマラソンを完走するほどのランニング好きです。
勉強一筋というより、興味を持ったことにはかなり積極的に飛び込むタイプに見えますね。
履歴書だけなら数行で終わってしまう学歴ですが、学生時代をたどると古謝げんたさんがなぜ政治の道へ進んだのかも少し見えてきます。
まずは地元・那覇市で過ごした小学校と中学校時代から見ていきましょう。
古謝げんたの学歴①石嶺小学校・石嶺中学校
古謝げんたさんは、那覇市立石嶺小学校、那覇市立石嶺中学校を卒業しています。
那覇市首里石嶺町出身なので、小中学校時代は地元で過ごしたことになります。
石嶺中学校では11期生にあたり、中学時代から野球に取り組んでいました。
現在は東大出身の元官僚という経歴が目立つため、学生時代もずっと机に向かっていたようなイメージを持ってしまいます。
実際にはスポーツにも打ち込んでおり、現在のジョギング好きにつながる一面はこの頃からあったのかもしれません。
仕事を終えてから運動しようと思っても、帰宅した瞬間にソファが急に魅力的になることがあります。
学生時代から運動を続け、40代になってフルマラソンまで走っているのを見ると、体を動かすことは古謝げんたさんの生活の一部なのでしょうね。
中学校卒業後は、昭和薬科大学附属高校へ進学しています。
次は高校時代について見ていきます。
古謝げんたの学歴②昭和薬科大学附属高校で野球部に所属
古謝げんたさんは、昭和薬科大学附属高校を26期生として卒業しています。
高校時代にも野球部に所属していました。
その後に東京大学へ進学しているため、部活動と受験勉強を両立していたことになりますね。
高校生活で部活を続けながら難関大学を目指すとなると、時間の使い方も重要になります。
社会人になってから資格の勉強を始めると、「今日は残業だったから明日から」と予定が華麗に先送りされることもあります。
そう考えると、限られた時間の中で勉強と野球を両立していた点からも、古謝げんたさんの集中力や継続力が感じられます。
高校卒業後に進んだのは東京大学です。
古謝げんたさんの政治への関心も、東京での学生生活を通じて具体的になっていきました。
古謝げんたの学歴③東京大学理科2類から薬学部へ
古謝げんたさんは2002年、東京大学理科2類へ入学し、その後は薬学部へ進みました。
東京大学では沖縄県人会を立ち上げ、初代会長を務めています。
県人会で沖縄出身の学生と交流するなかで、地元へ帰りたくても働く場所などの問題から帰れない若者がいることを知ったとしています。
古謝げんたさんは、こうした状況を変え、沖縄で若者が挑戦できる環境をつくりたいと考えるようになりました。
現在の沖縄県知事選挙への挑戦につながる問題意識が、大学時代から芽生えていたわけですね。
朝日新聞では、東京大学大学院薬学系研究科を中退して総務省へ入省したと報じられています。
薬学を学んでいた古謝げんたさんが、そのまま研究職などへ進まず行政の世界を選んだところは、経歴の中でもかなり興味深い部分です。
就職活動では目の前の内定を取るだけでも精いっぱいになりがちですが、古謝げんたさんは将来の沖縄県知事という目標から進路を考えていました。
では、なぜ薬学から総務省という一見まったく違う道を選んだのでしょうか。
古謝げんたは東大卒業後に総務省へ入省
古謝げんたさんは2008年に総務省へ入省し、官僚としてのキャリアをスタートさせました。
総務省を選んだ背景には、将来的に沖縄県知事を目指すという考えがあったようです。
古謝げんたさんは学生時代、当時の都道府県知事の経歴を調べ、総務省の前身である旧自治省出身者が多かったことに注目しました。
そこで行政経験を積むための進路として総務省を選んだとされています。
2008年から2026年の知事選挙まで約18年です。
20代の就職時点で考えた将来像が、40代になって本当に知事選当選へつながったことになります。
会社員として働いていると、5年後どころか来年度の部署すら分からないことがあります。
その感覚からすると、古謝げんたさんのキャリア設計はかなり長期戦です。
もちろん計画通りだったことばかりではないでしょうが、最終的に目標としていた場所へたどり着いた点には驚かされますね。
総務省へ入った古謝げんたさんは、その後、霞が関だけでなく地方行政の現場でも経験を積んでいきます。
次は長崎県や復興庁での仕事を見ていきましょう。
古謝げんたは長崎県・復興庁でも勤務
古謝げんたさんは総務省だけでなく、長崎県や復興庁でも勤務した経験があります。
特に長崎県では観光、国際、文化、財政と幅広い分野を担当しました。
2010年から2012年には総務省の情報流通振興課や調整課で勤務し、2013年には内閣官房副長官補付を経験しています。
2014年から2018年にかけては長崎県で勤務し、観光振興課、国際課長、文化振興課長、財政課長などを歴任しました。
2019年には復興庁参事官補佐を務めています。
国の制度を考える仕事と、地方自治体で実際に地域の課題と向き合う仕事では、見える景色も違ったはずです。
会社でも本社で作ったルールが、現場では「いや、これ無理ですよ」となることがあります。
国と地方の両方で働いた経験があることは、知事として国と交渉するときにも生かせる可能性がありますね。
ただ、古謝げんたさんは官僚として働き続けたわけではありません。
2020年には民間企業へ移り、その後、政治の世界へ踏み出しています。
古謝げんたはNTTデータ経営研究所から那覇市副市長へ
古謝げんたさんは2020年にNTTデータ経営研究所へ転職し、2022年の参議院選挙への挑戦を経て、那覇市副市長を務めました。
官僚、民間企業、選挙、地方行政と、かなり変化の大きいキャリアです。
NTTデータ経営研究所では、沖縄県内企業と連携したスタートアップ育成事業の立ち上げなどに携わっています。
2022年には参議院議員選挙の沖縄選挙区へ出馬し、271,347票を獲得しましたが落選しました。
当選者との差は2,888票と報じられており、かなりの接戦でした。
その後、2022年12月から2026年2月まで那覇市副市長を務めています。
一度の選挙で敗れて終わりではなく、地元行政の現場へ戻って経験を積み、4年後には沖縄県知事選挙で初当選確実となりました。
仕事で大きな失敗をすると、しばらくメールを開くのも嫌になることがあります。
選挙で27万票以上を集めながら敗れ、それでも政治や行政の現場から離れなかった点を見ると、古謝げんたさんはかなり切り替えの早いタイプなのかもしれません。
そして経歴を調べた人が次に気になるのが、古謝げんたさんを支えてきた家族ではないでしょうか。
続いて、妻や5人の子供、父親・母親について見ていきます。
古謝げんたの家族構成も気になる!
古謝げんたさんの家族構成は、妻と四女一男の5人の子供を合わせた7人家族です。
さらに古謝げんたさんの父親は宮古島出身、母親は広島県出身であることも明らかになっています。
新沖縄県知事、東大、元総務省官僚という経歴だけを見ると、どうしても仕事中心の人物像を想像してしまいます。
ところが家庭では5人の子供を育てる父親で、那覇市副市長時代には産後パパ育休も取得しています。
7人家族となると、朝の準備だけでもちょっとしたプロジェクトになりそうです。
仕事で会議の予定を3件調整するだけでもカレンダーとにらめっこする身としては、5人の子育てと仕事をどう回してきたのか、それだけでも気になります。
古謝げんたさんが今回の沖縄県知事選挙で子育て支援を重要政策として掲げた背景には、自身の家庭での経験も少なからず影響しているのかもしれません。
まずは古謝げんたさんの妻について、分かっている情報を見ていきましょう。
古謝げんたの妻は鳥取県出身
古謝げんたさんの妻は鳥取県出身です。
妻の詳しいプロフィールについては、今回確認した情報では多くが公表されていません。
政治家本人ではなく家族のプライバシーに関わる部分なので、公開されていない情報まで無理に掘り下げる必要はないでしょう。
古謝げんたさんは総務省、長崎県、復興庁、民間企業、那覇市副市長と勤務先や立場が何度も変化しています。
さらに2022年の参議院選挙、2026年の沖縄県知事選挙にも挑戦しました。
こうしたキャリアの裏側では、家族にも生活環境の変化があったと考えられます。
転勤や転職だけでも家庭では相談事項が一気に増えるものです。
そこに選挙まで加わるのですから、古謝げんたさんの政治活動を見るうえで家族の存在は小さくなさそうですね。
そして古謝げんたさん夫妻には、5人の子供がいます。
次は子供について見ていきます。
古謝げんたの子供は5人!四女一男の父親
古謝げんたさんには、四女一男の5人の子供がいます。
妻と古謝げんたさんを合わせると、家族は全部で7人です。
子供の人数だけ聞いても、かなりにぎやかな家庭が想像できますね。
5人いれば学校行事や習い事などの予定管理だけでも大変そうです。
会社のスケジュール表で予定が重なっただけでも「あれ、今日は何曜日だっけ」となることがあります。
仕事と5人の子育てを両立してきた経験は、古謝げんたさんが子育て政策を考えるうえでもリアルな材料になっているのではないでしょうか。
実際、2026年の沖縄県知事選挙では子育て関連予算の拡大を掲げています。
ただし、子供たちの名前や詳しい個人情報については、公表されている範囲以上に踏み込まないほうがよさそうです。
古謝げんたさんの子育てに関するエピソードとして、もう一つ注目されているのが産後パパ育休です。
次は那覇市副市長時代の出来事を見ていきます。
古謝げんたは那覇市副市長時代に産後パパ育休を取得
古謝げんたさんは2023年、那覇市副市長として初めて産後パパ育休を取得しました。
責任ある立場にいる男性が実際に育休制度を利用したという点でも注目できるエピソードです。
制度として男性の育休が用意されていても、職場によっては「本当に取って大丈夫かな」と感じることがあります。
特に管理職になるほど、自分が休んだら仕事が止まるのではないかと心配になりがちです。
そんな中、副市長というポジションで実際に取得したことには一定の意味があったのではないでしょうか。
もちろん、育休を取得しただけで政治家としての評価が決まるわけではありません。
一方で、古謝げんたさん自身が5人の子供を育てる父親であることを考えると、子育て支援を単なる政策テーマとしてではなく、生活に近い問題として経験してきたことは分かります。
新沖縄県知事として子育て関連予算の拡大をどこまで実現できるのかも、今後チェックしたいポイントですね。
そして古謝げんたさんの家族をさらにさかのぼると、宮古島とのつながりもあります。
最後に父親と母親について見ていきましょう。
古謝げんたの父親は宮古島出身で母親は広島県出身
古謝げんたさんの父親は宮古島出身で、母親は広島県出身です。
父方の祖父母は宮古島で「古謝そば」を経営していたことも明らかになっています。
古謝げんたさん自身は那覇市首里石嶺町で生まれ育ちましたが、父親を通じて宮古島にもルーツを持っているわけですね。
一方、母親は広島県出身なので、沖縄県外にも家族のルーツがあります。
古謝げんたさん自身も大学進学後は東京で生活し、仕事では長崎県などでも経験を積みました。
沖縄で育った経験だけでなく、県外で生活しながら沖縄を見る時間が長かったことも、古謝げんたさんの考え方に影響しているのかもしれません。
新沖縄県知事としては、本島だけでなく宮古・八重山など離島を含めた県全体を見る立場になります。
宮古島に家族のルーツを持つことと政治的な能力はもちろん別問題ですが、離島を身近に感じる背景の一つとしては興味深いですね。
古謝げんたさんは42歳という比較的若い年齢ながら、東京大学、総務省、地方行政、民間企業、参議院選挙、那覇市副市長という幅広い経験を重ねてきました。
さらに妻と5人の子供を持つ父親でもあり、仕事だけを追いかけていては見えてこない人物像もあります。
沖縄県知事選挙で初当選確実となったことで、今後は経歴の華やかさよりも、掲げた政策を実際にどこまで形にできるかが問われることになります。
特に県民所得や子育て支援、観光振興、基地問題など、簡単には答えが出ないテーマばかりです。
新沖縄県知事となる古謝げんたさんが、国・地方・民間で積んだ経験を沖縄県政でどう生かすのか注目していきたいですね。
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